千利休以前の茶の湯の世界

今までのおたから新聞でも書いたように、鎌倉時代に中国よりもたらされた、喫茶の風習は、室町時代の婆娑羅や禅宗の影響を受けながら、日本の文化として受け継がれ、広められていきました。  室町時代の末期になると、茶の湯は将軍のそばに仕える高貴な身分の者から、大阪・堺の豪商達の間にも広がっていきました。

 

千利休の茶匠である北向道陳(きたむきどうちん)武野紹鴎(たけのじょうおう)らもこうして茶の湯を学びました。しかし、商人達にとっての茶の湯はただの数奇の芸道ではなく、守護大名や戦国大名との関係を取り持つ場でもあったようです。

 

千利休に侘び茶を伝えた武野紹鴎(たけのじょうおう)はまさしくこのような茶人のひとりです。彼は武具商の家に生まれ、24歳の時に三条西実隆について和歌を学び、村田珠光の門下で茶道を修めました。その後30歳で出家し紹鴎を号し、大徳寺にて禅を学びました。この禅道と歌道を学んだことは、紹鴎の茶事に多大な影響を及ぼし、独特の深みのある侘びの世界を作り出しました。

 

彼は草庵風の四畳半座敷や三畳・二畳の小座敷を作り、割った竹を使った蓋置や茶杓・袋棚やなつめ形の茶入などを考案しました。茶の湯に侘びの境地を拓き、千利休や津田宗及・今井宗久等名高い門弟を育てました。しかし彼には、茶人の顔とは違うもうひとつの顔があったのではないかと思います。

 

狭い小間の座敷に武士や高貴な人を客として招き、商談にはうってつけの状況の中、紹鴎らは、何を話し何を得ていたのでしょう?事実紹鴎は、外国との貿易を通じ、武具や獣皮などを扱い、巨万の富を得ていたと言われています。

 

こうした武野紹鴎を師匠と仰いだ若き日の利休にとって、このもうひとつの顔もとても魅力的なものであったのかもしれません。


夏の間で使わなかった 秋は御急須の手入れから

お茶の美味しい季節、久しぶりにお茶を淹れた時、「あれ?!お茶が美味しくないぞ」と思われたことはありませんか?

 

夏の間使わなかった御急須は、内側はきれいに見えても、注ぎ口の中は、湯ドロと茶殻でかなり汚れていたりします。特に大きな金網のついた深蒸し急須は、網の裏側の汚れは、漂白剤に浸けてもなかなか取れません。金網を、注ぎ口の方から割り箸などの棒で押すと簡単に取り外すことができます。外してみて、こんなに汚れていたのとびっくりなさる方も少なくないと思います。


外したら、急須の注ぎ口の内側と網の裏側を食器洗剤を使い、歯ブラシなどで磨けば、比較的簡単にきれいになります。磨いた後外した網を元の位置にはめ込めばOKです。

 

また、金網は、当店にて1枚百円ほどでお求めいただけますので、網を取り替えてしまうことも出来ます。急須と外した網をお持ちいただければ、お掃除・網のお取替えもいたしております。お茶の恋しい季節、御急須もリフレッシュして、美味しいお茶をお召し上がり下さい。

 

お掃除カンタン 茶殻がきれいに洗い流せる

深蒸し急須新発売! お茶殻を捨てるとき、なかなかきれいに取れなくて、力をいれて振ったら割っちゃったなんて経験ありませんか? 実は、私よくやります・・・。  この急須は、注ぎ口の反対側の「ふち」をとり、茶殻を水に流しやすくしました。口が広く蓋も大きめで茶葉も入れやすい。 茶殻がすっきり捨てられて、使いやすいシンプル「楽々急須」 を販売中です。

 

忙中閑話

 

秋空が高く澄んで見えることを「秋高し」と言いますが、これは「秋高く馬肥ゆ」との中国の故事から来ています。これは辺境の匈奴が秋になり空が高くなると豊富な食糧で肥えた軍馬に乗って万里の長城を越えて攻めてくるという勇壮な故事です。スポーツの秋・食欲の秋、爽やかな秋に、心も体も元気になって頑張って行きたいものです。
 


日本茶の歴史 将軍足利義政と茶の湯のあけぼの

以前の記事で室町時代、特権階級の贅沢な遊びとしての婆沙羅のお茶と禅宗の寺 の薬膳としての喫茶の風習が生まれたと書きました。

この禅寺で受け継がれた喫茶の風習は、やがて新しい茶文化を生み出します。


室町時代後期の茶人、村田珠光は幼少の頃から寺に入り、十余年の後、京の大徳寺 の一休宗純より禅を学び、この禅の教えを茶の湯に加味して茶禅一味の茶の喫茶法を 創始しました。ちょうどこの頃、わずか八才で家督を継いだ八代将軍足利義政は、妻・日野富子の 影響もあって、政治を離れ、風流の世界に生きがいを求めます。

 

そして大飢饉や応仁の乱の勃発もお構い無く、東山に銀閣などの寺や山荘を建て、 優れた文化を生み出します。義政は建築・造園・書画などの文化への造詣は深く、珠光の茶の湯も義政の庇護を 受けました。義政は僧侶であった珠光を還俗させ、将軍家の茶匠とします。    

 

この頃の茶の湯は、作法というよりも、禅の心を取り入れた精神的なものであり、 「茶数寄」と呼ばれました。この「数寄−すき」とは、風流の道を好むことであり、ここに禅の心を加味した日本独自の喫茶法が生またのです。

 

この後、珠光は京・三条のあたりに屋敷を賜り、茶を広めました。応仁の乱の後、台頭した京都や堺の商人の多くが茶数寄の心にひかれ、珠光の弟子 となり、その後、武野紹鴎・千利休へと受け継がれて行きます。

 

ところでこの数寄という言葉、同じ文字で全く異なる二つの意味があります。ひとつは先にも書きましたように、風流の道を好むことであり、もうひとつは不遇 な運命・不幸という意味です。

 

数奇とは、茶の湯や銀閣などの建築など今にも続く優れた東山文化を生み出しなが ら、将軍としての職責を果たせず、思いと裏腹に戦乱の世を開いてしまった足利義政 の人生そのものを現わした言葉であるように思います。
 


お茶でリラクゼーション 緑茶の香・旨味成分の癒し効果

 

先日、テレビでストレスによって「生きることもいやになってしまう程の無気力状態」になる病が取り上げられていました。

 

沢山のストレスにさらされて生きている現代人にとって、「死んでしまいたい」と まではいかなくても、心の癒しは重大なテーマです。その放送でこのようなストレスを解消するには、植物の薫りが一番効果的であり、 緑茶の「若葉アルコール」と呼ばれる薫り成分にもこの効果が期待できると言ってい ました。

 

本当ならば、深い森や清々しい林で森林浴をするのが一番なのでしょうが、なかな かそういう時間の取れないときもありますよね。そんな時、畳のお部屋やイグサの敷物や緑を飾ったお部屋で、緑の薫りいっぱいの 緑茶を飲んでほっと一息、というのはいかがでしょう。

 

お茶には、このリラクゼーションを高める薫り成分のほかにもストレスに効く成分 が沢山含まれています。 たとえば、テアニンです。テアニンは緑茶に特有の旨味成分で、しかも緑茶のアミノ酸の約半分がこのテアニ ンです。テアニンのリラクゼーション効果は脳波の変化により測定できます。

 

伊勢村護・藤森進編著「緑茶パワーと健康のサイエンス」という本によると、テア ニン水溶液を与えた被験者の脳波の測定を行ったところ、飲用後四十分頃からα波の 発生が顕著に認められました。

 

また実験終了後、被験者の聞き取り調査を実施したところ、約半数の人が「手足の 指先が温かくなった」と答え、また、頭がすっきりした、イライラが無くなった、い ろいろなアイデアが浮かぶようになった等の体感が報告されました。

 

これはテアニンが人にリラクゼーション効果をもたらし、その結果α波の発生を促 したものと推測されます。薫り・旨味共に人をリラックスさせる緑茶は女性特有の精 神的症状の緩和にも効果があるそうです。


日本茶の歴史 栄西の喫茶養生記と婆娑羅の茶

栄西禅師が鎌倉時代の初頭、中国から茶の種子を持ち帰り、喫茶養生記を著した頃より日本において本格的な喫茶の風習が広まったといわれていますが、この喫茶養生記が書かれた経緯がまた面白いので紹介いたします。 この頃の将軍は鎌倉幕府悲劇の三代将軍・源実朝。彼はその精神的苦悩から、酒におぼれ、日夜酒をあおり、二日酔いに苦しむ毎日であったそうです。

 

そこで栄西は「茶は養生の仙薬なり」と実朝に茶を勧めたところ、この茶を大変気に入って、御家人たちにも広め、武士を中心に喫茶の風習が広まりました。

 

そして栄西は「喫茶養生記」を将軍に献呈し、これが後の世に茶の一大文献となったのです。ただこの時の喫茶はあくまで薬の意味合いが強く、優雅な茶の世界というわけではなかったようです。

 

そして南北朝時代には茶は、特異な時代を迎えます。それは太平記にも記されている「婆娑羅(ばさら)の茶」と呼ばれるものです。
婆娑羅とは、派手に見栄を張る様をいい、婆娑羅の茶は、贅沢な賭物を賭けて闘茶ー茶の産地などを当てるーを行うもので、当時の禅僧たちの茶の世界からは大きく逸脱したものでした。

 

その最たるものが婆娑羅大名の名をはせた佐々木道誉です。道誉は百種の珍膳を整え、百服の茶を飲み、七百種の闘茶の景品を山のように積み上げ、その費用は幾千万ということを知らずと記されるほどの豪奢な闘茶を行ったと伝えられています。道誉の婆娑羅振りは、茶のみに留まらず花や香、能楽等の芸道にも、多大な影響を与えました。

 

後の世の利休の茶の湯における茶歌舞伎はこの婆娑羅の茶を昇華させたものです。この歌舞伎の語源であるかぶくの意味は婆娑羅とほぼ同じです。

 

こうして仙薬として広まった喫茶の風習は、禅宗や室町の文化を経て、やがて利休により茶の湯へと大成されて行きました。



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